AIの進化が止まらない中、AI仏壇というものの開発を進めている企業もあるのだそうです。
デジタル化された故人さまとずっと会話をし続けられることで、悲しみがやわらぐ効果がある反面、そもそも故人さまをデジタル化することそのものに違和感を感じそうでもあります。
AIを用いたお弔いについて、考えてみたいと思います。
目次
AI仏壇とは?
YouTubeの人気チャンネルに『令和の虎』というものがあります。起業家たちが自社の商品やサービスをプレゼンし、投資家たちから融資を受けるというコンセプトです。資金調達そのものをコンテンツにしています。
AI仏壇の開発に取り組んでいるのは、若干26歳の女性です。故人さまの生前のテキスト(メールやチャット、SNSのコメント歴)や、約300の設問への回答などのデータを集積し、AIに機械学習させます。モニターには故人さまの姿が映し出され、AI化した故人さまと自然に会話できるというものです。
この動画を観た筆者は、「時代もついにここまできたか」というポジティブな感想と、「違和感があるなあ」というネガティブな感想の両方を持ちました。
しかし、私たちを取り巻く環境は常に変化し続けています。いつの日か、AIテクノロジーを駆使した供養や弔いが当たり前になるかもしれません。
弔いとは、会いに行くこと
弔いということばは、もとは「訪らひ」と書いたそうです。つまり、亡き人のもとに訪れることが、弔いなのです。
亡き人と会うこと、話すこと、つながることは、太古から現代にいたるまでの人間の変わらない習性です。
お葬式を終えた多くの方が、故人さまのお写真に、お仏壇の中の位牌に、霊園に並ぶわが家のお墓に、まるでそこに故人さまそのものがいるように、声をかけます。
「今日はいい天気だね」
「そっちは元気にやっているかい?」
「あなたがいなくて寂しいよ」
写真も、位牌も、お墓も、すべては亡き人と会話するための入り口となるものです。であるならば、その延長に亡き人と会話ができるAIが登場したってなにも不思議なことはありませんよね。
忘れることが救いとなる
故人さまをAI化することで、あたかもそこに故人さまがいるかのように感じることができます。それは一見よいことのようにも見えますが、それが逆に私たちの苦しみにつながる恐れもあると思います。
つまり、忘れがたい故人さまのことを、少しずつ忘れていくことが、実は救いになるのだと感じるからです。
葬儀のあとのお骨は、一定期間自宅にご安置しますが、お墓に埋葬することで気分が落ち着く語る人は実に多くいます。
お骨をお墓に納めるのは、未練の断ち切りに似た感情を抱かせます。そばにいられなくなるのは辛いけど、別れを避けて通ることはできないからです。
AI化された故人さまも同じです。生きている時と同じように会話はできるかもしれませんが、故人さまが生きているわけではない、亡くなった方を疑似的に蘇らせているにすぎません。
いつまでもそこにいることよりも、時間をかけて忘れていくことが、やがて年を重ね、亡くなっていくわたしたちにとって救いだったりもするんです。
変わらないものを大切に
変化の時代と言われています。10年後、20年後がどんな世界になっているか、だれもが知る由もありません。お葬式や弔いのあり方も大きく変化するかもしれませんね。
でも、そんな中でも変わらないものがあります。たとえば、誰もが必ずや亡くなるということ。遺された人は亡き人を偲ぶということ。
マキノ祭典は、時代を超えても変わらないものを見つめて、その部分を大事にしながら、時代に合わせて柔軟に変化できる葬儀社でありたいと考えます。