南無阿弥陀仏は、しあわせのための”おまじない”
葬儀や法事などの仏事に参加していると「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」ということばをよく耳にしますよね。
なんとなく分かっているこの「南無阿弥陀仏」には、いったいどんな意味があるのでしょうか。
先に結論を言うならば、「南無阿弥陀仏」は、唱えることで、心に平穏をもたらせてくれる、仏さまのやさしさが詰まった「おまじない」だと思います。
この記事は、そんな「南無阿弥陀仏」を暮らしの中に取り入れてみませんか、というお話です。むずかしい教えは最小限に。いまの生活が少し軽くなるヒントとして読んでみてください。
南無阿弥陀仏の意味
「南無」はサンスクリット語の「ナマス」に由来し、「おまかせします」「よりどころにします」という意味です。
「阿弥陀仏」は、はかり知れない光(無量光)といのち(無量寿)を表す仏さまの名。
つまりこれらを合わせると…
「はかりしれないいのちをもたらす阿弥陀如来さまに、全てをおまかせします」という告白のことばになります。
ここで覚えておきたいのは、完璧な理解や強い信心を先に用意しなくても大丈夫、ということ。まずは頼る、ゆだねること、「南無阿弥陀仏」の6文字を口にしてみるところからはじめれば十分です。
阿弥陀如来とは
仏教にはたくさんの仏さまがいて、それぞれに役割や特徴があります。
阿弥陀如来さまは、亡き人を極楽浄土に往生させて下さる仏さま。要は、死後の安寧を約束してくれる仏さまだと言えます。
そんな阿弥陀如来さまも、かつてはひとりの修行者だったそうです。修行を完成させて、いよいよ仏(如来)になる時に、次のような誓いを立てました。
すべての人々が心からわたしを信じ
極楽浄土に生まれたいと願い
わずか十回でも「南無阿弥陀仏」を唱えたにも関わらず
もしも、たったひとりでも極楽浄土に往生できないようなら
わたしは決して、仏になりません。
これって、裏を返すと、「ひとり残らず絶対に極楽浄土に往生させます」と約束していることになります。だって、阿弥陀如来さまという仏は、もうこの世界にいるわけですから。
南無阿弥陀仏の歩み
こんなすばらしい、そしてありがたい教えを、人々が放っておくわけがありません。
阿弥陀信仰はインドに芽生え、中国を経て日本へやってきて、平安末期から鎌倉時代という不安な時代に、民衆の間で大流行します。
貴族社会から武士社会へという時代の変わり目の中で、これまで貴族やエリートの中で広まっていた仏教を、民衆に開いていこうじゃないか、という人たちがたくさん登場し始めるからです。
浄土教の教えを人々に広めた僧侶として、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍がいます。
法然は、念仏を唱える人を、仏さまは必ず救って下さる
親鸞は、念仏を唱えない人も、仏さまはひとり残らず救って下さる
一遍は、そもそも人と仏の区別はなく、すでにだれもが救われている
…と説いたと言われており、その根幹となるものが、「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。
山に籠って厳しい修行をできなくても、経文をすべて暗記できなくても、ふしだらなロクデナシでも、いつでも、どこでも、だれでも唱えられる短い言葉。それが多くの人の心を支えてきたのです。
暮らしに取り入れると、何が変わる?
さて、ここからが本題です。あなたの日々の暮らしにお念仏を取り入れると、どんないいことが起きるのでしょうか。
呼吸が整い、心の速度がゆるむ
「な・む・あ・み・だ・ぶ・つ」と吐く息に合わせてゆっくり唱えると、呼気が自然に長くなります。
長い呼気は副交感神経を助け、肩の力が抜け、頭のざわめきが落ち着きます。坐禅や瞑想はむずかしいという方も、6文字のお念仏なら続けやすいはず。
ちなみに、お念仏を唱える人の中には、「な・む・あ・み・だ・ぶ・つ」と6字を区切るのではなく、「なまんだぶなまんだぶなまんだぶ」と、おまじないのように”ぶつぶつ”唱える人もいます。
これはどちらでもOKです。あなたのお唱えしやすい方で。
「ひとりじゃない」を思い出せる
介護、仕事、家族の心配——大人になるといろんなことを背負わなければなりません。
ここで思い出してほしいのですが、「南無」には「頼っていいよ」「ゆだねていいよ」という”合図”が含まれているということ。
「全部わたしが」から「ご縁に生かされて」へ。 こうやって視点が変わるだけで、目の前の問題が少し軽く感じられたりするものです。
ことばのクッションで人間関係がやわらぐ
ついついイラッとした瞬間、まずは「南無阿弥陀仏」を唱えてみましょう。声に出せない方は心の中で念じるだけで構いません。
感情に飲み込まれる前にお念仏ということばのクッションが入ることで、声のトーンが下がり、言い過ぎを防ぐことができます。
お念仏は人間関係の安全装置にもなってくれるのです。
悲しみの波を落ち着かせてくれる
故人さまの命日や、ふと生前の姿を思い出した時、辛さや寂しさから胸が締め付けられる想いがします。そんな時もお念仏を唱えてみましょう。ことばが仏さまへ届く糸になり、こちらとあちらが結ばれるような温かさが戻ります。
グリーフ(死別の悲嘆)は波にたとえられるほどに、心に不安定な揺らぎをもたらします。
でも、阿弥陀如来さまは、「だれをも必ず極楽往生させる」と約束して下さっています。
お念仏を唱えることで、「あの人はいま極楽浄土にいるんだ」と安心できます。お念仏は、波に流されすぎないための小さな錨ともいえるのです。
おわりに
「南無阿弥陀仏」は、すべての人を極楽往生させてくださる阿弥陀如来さまを慕うことばです。亡き人に手向けられるだけでなく、暮らしの中に取り入れることで、わたしたちを落ち着かせてくれるおまじないのようなものではないでしょう。
朝、カーテンを開ける時。玄関で靴を履く時。コンビニのレジを待っている時、仏壇や写真の前にいる時。散歩の信号待ちや家事の合間、そして寝る前に…。
「南無阿弥陀仏」を声に出す、あるいは心に念じるだけで、心がふわっと安心します。そしてそのことばの向こうには、常に私たちを見守り、そして救って下さる仏さまのやさしいまなざしがある。
そう思えることで、ささいなことに腹を立てず、ちょっとしたことをありがたく感じられるものです。
あなたの今日という日が、すばらしい一日となりますように。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。