鬼は外、福は内。節分の由来を解説いたします
節分とは
「季節を分ける」と書く節分は、本来は年に4回ありました。季節の変わり目である、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを節分と呼んでいましたが、いまでは立春(2月4日)の前日を指して、節分と呼ばれています。
どうして立春なのか。これは立春が旧暦のお正月だからでしょう。
明治以降は新暦を採用する日本ですが、中国などではいまでも旧暦が採用されており、新しい年のはじめも旧暦の1月1日です(新暦だと2月の上旬)。
つまり節分は、大みそかでもあったわけです。新年を新しく迎えるにあたり、「鬼は外、福は内」との願いを込めて、豆をまく風習が根付いたようです。
節分に豆をまくのはなぜ?
大豆は古くから、「鬼毒を殺し、痛みを止める」などと、縁起物で健康に良い食材とされていたようです。健康面において世界的に評価されている日本食ですが、そこで用いられる味噌や醤油など調味料も、その原材料は大豆です。
古代中国では、厄払いや魔除けなどの呪術的儀式に赤い小豆が用いられていました。赤は縁起物の色で、中国の建物に赤がよく使われるのはその好例ですが、やがて大豆も魔除けのために用いられるようになったようです。
実際に民俗学の世界では、節分に撒くものとして、米、麦、炭などがあるそうですが、現在でも圧倒的に普及しているのは大豆です。
豆を炒るのはなぜ?
節分でまく豆は炒り豆です。どうして炒り豆なのか、これにも諸説あります。
<剥がれる皮が新年を象徴する>
大豆の皮は薄く、炒ると簡単に剝がれてしまいます。そのことから古い皮をはがすことが、旧年から新しい年の始まりと考えられたのです。
<魔目を射る>
豆まきはそのまま鬼を撃退するためのものですから、鬼の眼球をつぶす「魔目を炒る」という語呂がそのまま鬼退治に通じるのではないかという節もあります。
<豆が芽吹くのを恐れた>
厄除けに撒かれた豆は、いわば穢れを負った豆です。そのため、まいた豆をそのままにしておくと、豆から芽が出てしまい、それが再び災厄を呼び寄せると考えられたのです。
徳島県の山間部では「まいた豆に芽が出たら鬼に食べられる」「まいた大豆から芽が出たら家に凶事がおこる」と伝えられているそうです。
また、新潟県の佐渡島の民話には、神に追い払われた鬼たちが「豆の芽吹くころにまた来るぞ」と悔しがったとも言われています。
節分と追儺(ついな)
豆まきする時って、鬼役を演じる人が必ずいますよね。幼稚園の先生や、家の中だとお父さんがこの役をさせられます。鬼の仮面をかぶって、子どもたちの精一杯の豆攻撃を体中で受けるのです。
このような、ただ豆をまくのではなく実際に鬼役を立てた儀式も、古くからおこなわれています。
その由来は、古代中国の宮中で行われていた「追儺(ついな)」というもので、日本においては「鬼遣(おにやらい)」や「鬼追い」などとも呼ばれています。疾病や災厄などを鬼に見立て、桃の木で作った弓、葦で作った矢でそれを追い払うというものです。
こうした宮中行事がやがて民衆の間にも広がり、これが今の豆まきへと変わっていったものと見られます。
追儺の名残が残っているものとして、毎年1月から2月にかけて兵庫県の寺社で行われている「鬼追い式」や、秋田県の「なまはげ」も、追儺との類似が多く見られる行事です。
年間行事は、心をリセットするためのもの
節分のような古くから行われる年間行事は、心をリセットするために営まれています。
「悪いことが起きませんように」
「今年こそいいことがありますように」
旧暦から新暦へと変わってしまったため、現在の節分は年またぎのものではありません。しかし立春は、冬から春へと、新しい季節を迎え始める節目となる日であり、だからこそ節分行事が行われるのです。
昔は盛大に、鬼を払って、豆まきをして、玄関先に柊鰯(ひいらぎいわし:柊の小枝に焼いた鰯の頭を突き刺したもの)を吊るしたものですが、いまはそこまでする家も少なくなったことでしょう。
それでも、玄関の中と外に少しばかりの豆をまき、恵方巻を食べてみる、こうしたささやかな行事をするだけで、新たにやってくる春を、すがすがしい想いで迎えられるかもしれません。
世間は、騒々しい年の幕開けとなりましたが、あなたやあなたのまわりでは、今日もおだやかな時間が流れていくことをお祈りいたします。