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【ブログ・北田友美】葬儀屋さんの娘に生まれて | の家族葬・区民葬ならマキノ祭典(株式会社まきの)

ブログ

【ブログ・北田友美】葬儀屋さんの娘に生まれて

2026.02.03

おかげさまで、マキノ祭典は今年(2026年)で創業58年を迎えました。

上石神井の地で半世紀以上。これもひとえに、地域の皆様が「何かあったらマキノさんに」と信頼を寄せてくださったおかげです。改めて、厚く御礼申し上げます。

さて、私はだれよりも間近でマキノ祭典の歴史を見てきたうちのひとりです。なぜなら私、会社ができて3年目に生まれた牧野家の長女だからです。

今でこそ「お葬式は大切なセレモニー」と胸を張って仕事に取り組んでいますが、子どもの頃は……もう、それはそれは葬儀屋さんの家に生まれたことがイヤでイヤで、毎日「普通の家の子になりたい!」と願っていました。

今回は、今だから笑って話せる「葬儀屋の娘あるある」を交えながら、私のちょっぴり変わった生い立ちをご紹介します。

わが家の天敵は「ポケベル」

昭和の葬儀屋さんの子どもにとって、最大の敵。それは、父の腰に光る「ポケベル」でした。

葬儀の仕事は24時間365日。お客様からはいつお呼びになるか分かりません。ですから、わが家には「家族揃ってのんびり旅行」なんていう概念は存在しなかったのです。

忘れられないのは、母の実家がある群馬に帰省しようとした時のこと。

「さあ、電車に乗るよ!」と駅のホームに電車がやってきた瞬間、父の腰から「ピピピピ、ピピピピ!」という無情な電子音が響き渡りました。 結局、父は改札を出て職場へ逆戻り。残された私と母、兄弟だけで、父不在の寂しい帰省となったのです。

学校でのあだ名は「牧野の電柱」

上石神井で唯一の葬儀屋さんだったこともあり、よくそのことでからかわれました。 

当時は、葬儀会場への案内として、電柱に「指を差した形の看板」を貼り出していた時代です。それを見つけたクラスの男子たちが、黙っているはずがありません。

学校に行くなり、「やーい、牧野の電柱~!」と囃し立てられます。指を右、左とピコピコ動かしながら、私の行く手を指図してくる。思春期真っ只中の女子にとっては、これがもう面倒臭かったものです。

さらに追い打ちをかけるのが、当時の職業偏見。私に直接、ということはありませんでしたが、両親は、「人の死で商売をしている」「けがらわしい」などと、今ならコンプライアンス的に大問題な発言をされることもあったそうです。

中学生の部屋に、まさかの「直通電話」

普通の女子中学生なら、部屋に電話があるなんて「自由におしゃべりできる!」と大喜びするシチュエーションですよね。

でも、葬儀屋さんであるわが家は「家中のどこにいても電話に出られるように」と、全室に電話機が完備されていました。当然、私の部屋にも一台。女子中学生をキラキラ喜ばせるものではなく、「究極の緊張感」を運んでくるビジネスフォンだったのです。

「お待たせしてはいけない」「一回鳴ったらすぐ出る」が葬儀社の掟です。 「ルルルルル!」と電話が鳴って、だれもとらなければ私が受話器をとらないといけない。

電話越しには病院、警察、あるいは深い悲しみに暮れるご遺族。時には、気が立っているお客様からいきなり「どうなってるんだ!」と怒鳴られることもありました。

あこがれの「玄関」

皆さんは、学校から帰ってきたらどんな玄関を通りますか?

素敵なタイル張りの玄関? 木目のきれいなドア? 私の実家(旧社屋)には、いわゆる「マイホームの玄関」なんてありませんでした。

そこにあるのは、商店街に面した「ガラガラガラ!」と鳴るガラスの引き戸です。

一歩中に入れば、そこはもう葬儀屋さんの事務所兼作業場。土間が広がり、奥では職人気質の社員さんたちがトンテンカンテンと、忙しそうに棺を組み立てている。

「ただいまー」と言いながら、棺の脇をすり抜けて家の中へ。 木の香りと、お線香の香りが混ざった独特の空気はもはや当たり前のもの。板の間を通り、台所の奥にある居住スペースにたどり着いてようやく「マキノの娘」から「一人の子ども」に戻れるのです。

友達の家へ遊びに行って、洋風のドア、オシャレな取っ手、かわいい玄関マットや靴箱があるのを見るたび、「いいなぁ、うちもあんな風に、普通に帰ってきたいなぁ」と、猛烈に「普通の家」へあこがれたものでした。

嫌いだった家業が「誇り」に変わる

幼い頃は、この特殊な環境がイヤで仕方がありませんでした。 「なんでうちは普通のサラリーマンじゃないの?」「なんでこんなに毎日ピリピリしてるの?」と。

実際に兄(現社長)も私も、一般企業に就職しましたし、私は「絶対にサラリーマンと結婚して、家業には携わらないんだ」と決めていました。

でも、大人になってみて、そしてさまざまなご縁があって自分自身がこの仕事に携わるようになって、ようやく分かったことがあります。

父がポケベルで呼び戻されたのは、それだけ「今、助けを必要としている人」がいたからです。

中学生の私を緊張させたあの電話の向こうには、人生で一番辛い夜を過ごしている方がいたのです。

土間で棺を作っていた社員さんたちの真剣な眼差しや、マキノさんにお願いしてよかった」と涙ながらに感謝を述べて下さるお客様の姿。 

それらを間近で見て育ったからこそ、今の私があります。

時代も移ろい、葬儀社に対する世間の見方や社会の中での立ち位置もだいぶよくなったことを肌で感じています。

でも、昔も今も、マキノ祭典で働いて下さるスタッフたちは、愚直に、一生懸命に、目の前のお客様に寄り添う、尊い後ろ姿を見せてくれています。

なので、今なら、あの頃の自分にこう言ってあげることができます。

「葬儀屋さんの娘に生まれることは、ちっとも恥ずかしいことじゃない。むしろ、最高にカッコよく、尊い仕事なんだから!」と。