【ブログ・小嶋】法事や供養が私たちにもたらしてくれるもの
マキノ祭典の小嶋です。
葬儀の仕事を始めて27年。若い頃は遠いものだった「死」が、今ではずいぶん身近なものになりました。
母を見送った経験も重なり、私は最近、葬儀だけでなく、法事やお盆、仏壇やお墓にも大切な意味があると感じています。
今回は、27年間の葬儀の仕事の中で得た私なりの死生観や、法事や供養がもたらせてくれるものについてお話しします。
死は、いつもそばにある
入社したばかりの頃は、まだ若かったこともあって、死というものをどこか自分とは遠いものとして考えていました。
もちろん、人はいつか死ぬ。それくらいは分かっていました。でも、それはずっと先の話。自分が死ぬなんて、現実感のない話だったんですよね。
ところが、葬儀の仕事を続けていると、毎日のように「人の死」に出会います。
いろんなご家族に会い、いろんなご遺体を見て、いろんなお葬式に立ち会う。
お寺様の法話を聞く機会もたくさんあります。宗派によって教えも違えば、お坊さんによって話す内容も違う。でも、聞いているうちに「なるほど、そういうことなのか」と腑に落ちることも少しずつ増えてきました。
そうやって27年、この仕事を続け、年を重ねるうちに、自分なりの死生観が少しずつ形づくられてきました。
若い頃は、自分よりずっと年上のお客様に、精一杯応えるように仕事をしました。
それが、いつしか自分も喪主を務める世代になり、さらにその先には、自分自身が送られる側になる時も来る。
実際、前回お話ししたように、母の葬儀では、父が喪主を務めたものの、実質的には私自身が喪主であり、葬儀担当者のようなかたちでした。
あの経験は、私の死生観をさらに大きく変えたと思います。
亡くなったあとも存在している
母が亡くなってから、実家に仏壇が置かれました。
子どもや孫たち(母から見ると孫やひ孫)は実家に行くと、必ず仏壇の前に座って線香を立てます。旅行先から帰ってきた日なんかは、「ばあちゃん、お土産買ってきたぜ」と言って、仏壇にお供えするんです。
これって、母が生きていた頃と、そんなに変わらないんですよね。
生きているときは、「ばあちゃん、久しぶり!」と言って遊びに来る。亡くなった今は、「ばあちゃん、久しぶり。お土産だよ」と仏壇に持ってくる。
母は亡くなったけれど、ちゃんとそこに存在しているわけです。
仏壇というのは、亡くなった人の存在を、残された家族が感じられる場所なんだと思います。
みんなおばあちゃん子でしたから、あれやこれやと母にお土産を持ってきます。おかげでわが家の仏壇には、母の好物やガチャの人形なんかが並んでいて、けっこうにぎやかなことになっています。
「供養」というと、何か特別なことをしなければいけないように思うかもしれませんが、亡くなった人に会いに行く。それくらい自然なものでいいんじゃないでしょうか。
お盆や法事が、家族をつなぐ
私の実家の地域では、今でもお盆になると迎え火や送り火をします。
8月13日には提灯を持ってお墓まで行き、お墓でつけた火を家まで持ち帰って、ご先祖様を迎える。
そして15日には、今度は仏壇の火を提灯に移して、お墓まで送っていく。
夕暮れから夜にかけて、蝉の声が聞こえる夏の夜に、提灯の明かりを持った複数の家族が、お寺の墓地に集まります。
提灯の火袋や、石燈籠の中でローソクの火がともるのは、なかなかの風情で、私はこういう時間って、すごく大切だと思います。
法事も同じです。四十九日、一周忌、三回忌、七回忌と、定期的に法事があるから、家族や親戚が集まるきっかけになります。
そこで母のことを思い出しながら、「あの時、こんなことがあったよね」なんて話をする。
法事は、亡き人やご先祖さまに想いを馳せるだけでなく、いまを生きている家族や親戚同士がつながりあっているんだということも、再確認させてくれます。
忙しい毎日からふっと離れられる特別な時間
普段の私たちは、学校や仕事、趣味や地域のことなど、目の前のことで精いっぱいです。
だからこそ、お盆や法事には意味があるのではないでしょうか。
ほんの少し日常から離れて、亡くなった人を思い出す。生きることや死ぬことなど、命について考えを巡らせてみる。そんな時間ではないでしょうか。
お坊さんの法話も、なかなか意味深いものがあります。
普段なら聞かないような話だからこそ、心に残り、「なるほどな」と考えさせられます。
それを葬儀社のスタッフではなく、お坊さんが話すからこそ、言葉に重みがあるんだと思います。
今は「お寺なんて必要ない」「お坊さんはいらない」という声もありますが、こういう「命について考える時間」をつくる役割は、これからも大切にしていきたいと思っています。
最近は、「安く」「簡単に」「短時間で」ということが求められる時代です。
そうしたニーズに応えるために、葬儀社にも企業努力が求められ、分業化や効率化が進んでいます。マキノ祭典も例外ではありません。
そんな中でも、少しでも現場のお客様の気持ちに応えられる人でありたい。限られた時間の中でも、葬儀というものの大切さを伝えたい。ご家族が後悔なく、「ちゃんと送ることができた」と思えるお葬式にしたい。
27年間この仕事をしてきましたが、葬儀の仕事はまだまだ奥が深いです。
母を見送ってから、私は以前より少しだけ、死というものを身近に感じています。
そして、死を考えることは、どう生きるかを考えることでもある。
だからこそ、葬儀や法事という時間は、亡くなった人のためだけにあるものではないのだと思います。
残された私たちが、家族のことを思い、命のことを考え、自分自身の生き方を見つめ直す。
葬儀を通じて、そうした大切な時間を支えられる人でありたいと思います。