【ブログ・斎藤光司】手作りで送り出した父のお葬式
こんにちは。マキノ祭典の斎藤光司です。
仕事では数えきれないほどのお葬式に携わってきましたが、いざ自分の父の葬儀となると、感じ方も見える景色も、まったく異なるものがありました。
この記事では、ひとりの息子として、そして”葬儀家”として迎えた父の旅立ちについてお話いたします。
旅先で父が亡くなった!
2024年の年の瀬、家族旅行の真っ最中だった父が、奈良の温泉宿で湯に浸かったまま、静かに息を引き取りました。
この仕事に携わって30年近くになりますが、電話でその一報を聞いた時にはさすがの私も手が震えました。
すぐに東京から奈良県の警察署へ向かいました。警察署の霊安室も普段はよく出入りさせてもらっているものの、そこに横たわっているのが父かと思うと、緊張を抑えきれません。
しかし、実際に父と対面してみると、湯上がりのように顔色もよく、穏やかな寝顔で、まるで「ちょっと疲れたから昼寝してるだけだ」と言わんばかりでした。
不謹慎かもしれませんが、「きっと気持ちよくお風呂に浸かったまま旅立ったんだな」と、どこかあたたかい気持ちで父の最期を受け止めていました。
そこから、両親の住まいがある静岡県伊東市まで車で約6時間。長い道のりのあいだ、助手席の母とたくさんの話をしました。
父の思い出や、母が若かった頃の話、そして私の仕事のことまで、ふだんはゆっくり話す機会のないあれこれが、車の流れに合わせるように、ぽつりぽつりと自然にこぼれていきました。
父が作ってくれた、ひさしぶりの親子水入らずの時間だったのかもしれません。
自分たちだけで作り上げた「家族の手作り葬」
私は”葬儀家”として、いつか両親の葬儀は自分で手がけたいと思っていました。
こんなに早くその時が来るとは思いませんでしたが、いまがまさに親孝行の瞬間だったのでしょう。
父の遺体を自宅に安置し、まずどの葬儀社にお願いするべきか悩みました。
「マキノ祭典に応援を頼もうか……」
そう思いもしましたが、会社は年末で大忙し。東京から伊東まで来てもらうのは、さすがに迷惑です。
そこで最終的には、棺、供花、霊柩車、火葬場の手配だけ地元の葬儀社にお願いし、あとは、これまでの仕事で得てきた経験を活かし、すべて私がプロデュースするという形にしました。
わが家は、父は三味線奏者、母は日本舞踊家という伝統芸能の家系です。家には、舞台としても使える約100畳の広い部屋があり、そこで「家族の手作り葬」を行うことにしたのです。

棺を安置し、お花を並べ、舞台全体を祭壇としました
「お坊さんはいなくていいわ。私たちだけで明るく送ってあげたいの」
母の想いを尊重し、父が亡くなった12月26日から1月6日の火葬まで、「だれでも、好きな時間に、お別れに来てもらえる」そんな開放的な自宅葬にしました。
年末年始で、家族も親戚も比較的時間があり、三味線の生徒さんたち、日本舞踊の仲間たちが、思い思いのタイミングで訪れ、棺のそばで父に語りかけてくださいました。
それぞれがゆったりと父との時間を過ごしていく。その光景があたたかくて、私の知らない父の姿なども聴かせてもらい、何度も胸がいっぱいになったものです。
また、棺にはひとりずつ父へのメッセージを書いてもらいました。あふれる言葉を前に、思わず目頭が熱くなります。
出棺の日には、家族とご縁の深かった和太鼓チームが集まってくれ、盛大な演奏。
「こんな旅立ち、父さん、きっと大喜びしてるよ」
そこにいるみんなが、同じように思ってくれていたことが、全身で感じられました。
メモリアルコーナーもすべて手作り
棺にはたくさんのメッセージが寄せられました
葬儀に「してはいけない」は、ない!
父の葬儀を通して、改めて強く思ったことがあります。
「大切な家族を、してあげたい形で送ってほしい」ということです。
「してはいけないこと」なんて、ひとつもないんです。
「あれをしたら非常識じゃないか?」
「こんなお葬式ってアリなの?」
こうした迷いの奥には必ず…
「あれをしたい」
「こんなお葬式にしたい」
…といった、想いや希望があるはずです。
ですから、その想いや希望にフタをするんじゃなくて、それを形にできないか、まずはお近くの葬儀社に相談してみてください。
マキノ祭典は、お客様の「したいお別れ」を、可能な限り形にする葬儀社です。常識外れだって、変わったお葬式だって、構わないじゃないですか。
私自身がこんな手作り葬をしたのですから、胸を張って言えます。

出棺は和太鼓の演奏で盛大に送り出し。よかったね、お父さん。
そして、もうひとつ。これは、父を送り出したひとりの息子としての実感ですが、
人は、いつ最期を迎えるか分かりません。
だからこそ…
ふと「会いたい」と思ったら、会っておきましょう。
電話したいと思ったら、電話をしましょう。
「会える」「話せる」が、どれだけ幸せなことか。亡くなったあとにこそ、そのありがたさが身に沁みます。
私は、世界一の父のもとに生まれました。
その父を、自分らしく、自分の手で送り出せたこと。そして、母や親族、生徒さんたちみんなが喜んでくれたこと。
たとえ小さくても、ささやかでも、最後に親孝行をできたことが、私の誇りです。
