【ブログ・梅西杏菜】恐怖心より好奇心。行動力が私を葬儀社に導いた?
こんにちは、新卒1年目の梅西杏菜です。
よく社員の方から「梅西さんって行動力あるよね」と言われます。
でも本人はあんまりそんな自覚はなく、「気がついたら動いてただけ」みたいな感じだと思っています。
幼い頃は特に活発だったというわけではありませんが、大学に進学してからスイッチが入ったのか、気づけば「あれも好き、これも好き」「あれもしたい、これもしたい」が止まらなくなりました。
そんな私の行動力が、最終的には葬儀社に導きます。どのようにして私がマキノ祭典に入社したのか、そんなお話しをさせていただきます。
アニメと映画が私を動かした
中学生のときに観た、新海誠監督の映画『君の名は』。
映画館のスクリーンを前にして、圧倒的な映像美と、独特な世界観に雷が落ち、気付くと私はこう決意していました。「アニメーターになる!」
それからは、ひたすら絵を描いて、アニメ作品を観て、地元・広島を飛び出して、関西の芸大に進学。ひとり暮らしをすることにも恐怖なんてなく、完全に好奇心が勝っていました。
ところで、芸大って、ほんとに変わった人が集まっていて、いい意味でみんな変なんです。その影響もあって、私もどんどんフットワークが軽くなっていったのかもしれません。
映画『トップガン』が大好きな私は、「聖地に行かねば!」と、映画のロケ地、アメリカはサンディエゴに短期留学。主人公のマーヴェリック気分で海沿いを歩き、トップガンハウスを訪れてはひとりはしゃぐ東洋人でした。
また「世界最古のクリスマスが見たい!」と単独でドイツ・ミュンヘンへ飛んだことも。行ってみたら街中がシーンと静まり返っていてお店も全部閉まってる。後から知ったのですがドイツのクリスマスは、日本と違って家の中で静かに過ごすらしいのです。結局、急遽国境を越えてオーストリアまで移動してクリスマスマーケットを満喫しました。これも今となってはいい思い出です。
マキノ祭典の面接のために上京した時も、空き時間で『君の名は』の聖地巡礼。四ツ谷駅、須加神社、新宿御苑を散歩しながら「ここで瀧くんが…」なんて考えてました。面接より巡礼の方が大事だったかも?
就職活動の迷走劇
大学でアニメーションを専門的に学んでいたものの、「アニメでは食べていけない」と悟った私は、就職活動にシフト。さまざまな職業になりたいなと思い、手当たり次第に応募します。
<自衛隊>
なんといってもトップガン好きな私としては「戦闘機パイロット一択!」と夢見ていましたけど、申込要綱を問い合わせてみたら「受験資格は20歳まで」と言われてしまいました。その時の私は19歳11か月。思い立つのがちょっと遅すぎました。
<テレビ局>
大学で学んだスキルを活かそうと在京キー局の美術スタッフに応募。マスコミやテレビ局って人気がものすごくて、高倍率。さすがにこの狭き門をくぐることはできませんでした。無念!
<警察官>
「飛行機はダメでもパトカーなら!」と地元の広島県警を受けかけていたら、マキノ祭典から内定をいただいたことで、こちらは自然消滅しました。
気づけば、アニメーター、自衛官、警察官、テレビマンといった候補が全部消え、最終的には「葬儀社」という未知の道を進むこととなるのです。
マキノ祭典を選んだ理由は…推し?
「じゃあ、梅西はどうして葬儀社を、そしてマキノ祭典を選んだの?」—―これもよくいただく質問です。
すでに私は、祖父母や叔母の葬儀を経験していて、葬儀が必ずしも悲しいだけの時間じゃないことを知っていました。
というのも、家族や親戚たちが集まって思い出を語るあの雰囲気が、幼心に心地よかったんです。葬儀屋さんは、人の命に触れるだけでなく、家族の温かさに寄り添う仕事でもあり、とても素晴らしい職業だと感じていました。
じゃあ、数ある葬儀社の中でどうしてマキノ祭典だったのか?
実は私、嵐の松本潤さん(以下、敬愛を込めて「松潤」)が大好きで、そのころ出演していたドラマ『花より男子』での役名が「牧野」だったんです。
就活サイトで「株式会社まきの」の文字を見つけた時、「おお!まきの!松潤じゃん!」と、深く考えることなく「お気に入り」にタップ。
そして実際に面接に対応してくれたのが、なんとなんと、丸山さん!
私は関ジャニ∞も大好きで、推しは丸山隆平さん(以下、敬愛を込めて「丸ちゃん」)だったのです! なので、面接を始める前からもうすでに…
「松潤と丸ちゃん。もう、これ、運命じゃろ…」
…と、心は完全にマキノ祭典に傾いていたのです。
こんな志望動機の私が受かることはないと思っていたところ、ありがたいことに内定をいただきましたが、「どうしてこんな私を採用してくれたんだろう?」といまだに思っています。
これからの私
アニメーターになる夢から始まり、自衛隊や警察を経由して、なぜか葬儀社に。自分でも「どういう経歴?」と思います。
でも、私にとっては全部ひとつの線でつながっていて、どこを切りとっても「その瞬間の好奇心に従っただけ」なのです。
もちろん葬儀社の仕事は甘くはありません。反省も学びも毎日あります。
でも、恐怖心より好奇心、持ち前の行動力で、怯むことなく葬儀の仕事に挑んでいこうと思っています。
そして、いつの日か社内でアニメを作れたら、なんておもしろい未来も夢想しています。私が原画を描いて、先輩の梅原さんに声優をしてもらって…。そんな未来もアリかも?
これからも、どうぞよろしくお願いします!