【ブログ・杉浦俊也】昭和系男子。令和の葬儀社にたどり着く
マキノ祭典葬祭部の杉浦俊也です。昭和59年、1984年生まれの、現在40歳です。
この記事では、杉浦のマキノ祭典に入社するまでのお話と、入社してからのお話を、少しばかりお付き合いください。
不適切にもほどがある? 昭和から来た杉浦です。
20代や30代といった若い社員が多いマキノ祭典ですが、わたしはどうも昭和の空気をまとっているようです。TBSドラマ『不適切にもほどがある』が大人気のなか最終回を終えましたが、俳優の阿部サダヲさんが演じた小川市郎さんのように、令和に降り立った昭和男の感が拭えません。
このブログを書いている真横には、ファミリーサポート事業部の半澤さん(26歳)がいるのですが、彼女もわたしのことを「スギさん」と呼んでくれます。まるで『太陽にほえろ』のヤマさんや、『水戸黄門』のスケさんカクさんのようないぶし銀的な扱いも、まんざらではありません。
半澤さんによると、わたしって…
- よくも悪くも適当
- 歯に衣着せぬ物申す系
- 面倒見がいい
…なんだそうです。
わたしの人格形成にはさまざまなものが影響していると思いますが、いまわたしの頭の中には、「前職」「妻」の2つのことばが思い浮かびました。
ファーストフード店の片隅で愚痴をこぼす
18歳で専門学校に入学。当時付き合っていた彼女の家に転がり込むようなどうしようもない奴でした。
彼女から「いい加減にバイトしなよ」と言われたものです。そりゃそうです。世は就職氷河期時代。どの学生もお金のやりくりに苦労していた時代に、二十歳になる前から「ヒモ」暮らしするだなんて、ムシのいい話です。
ファーストフード店でバイトを始めるのですが、まあやってみるとこれがおもしろいんですね。渋谷にあるお店だったのですが、お客様もいろんな人が来るし、バイト仲間ともそれなりに仲良くなりますし、イヤなことがあったり、身体がきつかったりもするものの、働くっておもしろいんだなと、夢中になります。
やがて、社員登用のスカウトを受け、専門学校も辞めて、社員になりますが、そこからは大変。うまくいかないことばかりでした。
地方への転勤もありましたし、店長を任されるようになってからは職場の人たちをうまくまとめるのがいかに大変かを思い知らされました。アルバイトの人たちと喧嘩になることもしばしばで、ネットの掲示板に誹謗中傷を書き込まれたことも。ひどいですよね、さすがのわたしだって傷ついちゃいますよ。毎日のように、お店の片隅でぐちぐち愚痴をこぼしてました。
でも、いま振り返ると、わたしも若かったですし、未熟なところがたくさんありました。隣の店舗の店長と缶チューハイをあおりながら、愚痴りあい、慰めあい、傷をなめあったものですが、アルコールで傷口を消毒しながら「オレもあそこがいけなかったよな」と、人知れず反省していたものです。
奥様は、神。
そして、いまのわたしの人格形成に強烈な影響を与えているのが、わたしの愛する妻です。関係性は、上司と部下、社長と社員、神と信者、と言った感じで、完全に尻に敷かれています。
ささいなことで自己主張しあっても勝てやしない。めちゃくちゃ強いんです。挑む方が愚かなんです。わたしは完全に自我を捨て去りました。神の前では、人間は愚かでひ弱な生物です。気が強くて、顔が広くて、太陽のように明るい神さま。完璧な主従関係こそが、わが家の円満の秘訣です。
そして、日々強烈な神のしもべとして立ち回っているおかげなのか、世俗社会(=職場のこと)におけるいさかいや、いざこざが、とても小さく感じられます。
思ったことは口にしますし、後輩たちが言えずにいるであろうことを先輩や上司に物申すことだって、平気です。そうしたことで心が揺さぶられることがないんですよね。
大げさに言うと、それはまるで、苦行を重ねた末に菩提樹のもとで禅定の境地に至ったお釈迦さまの心境のようかもしれません。
なにせこちらは恐れ多い神と日々暮らしていますので、不条理にも耐性がつき、慈悲深いお恵みをいただいています。このお恵みをマキノ祭典の社員にもシェアするつもりで日々会社に勤務しているといっても、過言ではないのです。
不合理や不条理だって糧になる
若い後輩たちが、不器用に、でも一生懸命にお客様のためにと汗をかく姿を見ていると、「非効率で段取り悪いなあ」と思う反面、「一生懸命で、かわいいなあ」とも感じます。
一方で、先輩や上司に物申す時も、頭の片隅には「管理職には管理職の考え方があるよな」と、どこかで冷静な自分がいて、無意識に相手のことを慮っています。前職でこれでもかってくらい、管理職として辛酸をなめてきたので、その大変さは分かっているつもりです。
そんな感じで、「適当だけど、言いたいこと平気で言って、面倒見もいい」というキャラとして、この会社の中にいさせてもらえているのかもしれません。たしかにこれって、昭和的な曖昧なゆるさ、適当さに通ずるところがあるようにも思えます。
でも、こうやって振り返ると、ブラックな前職も、神との日々も、すべてがいまの自分を育んでくれた養分になっているのだと気づかされました。
「ブログを書くって、イミフだよ」と、はじめは鬱陶しく思っていましたが、こんなすてきな機会を作ってくれた半澤さん、本当にありがとう。
とまあ、こんな不適切にもほどがある杉浦ですが、次回はもう少し真面目に、お客様にとって「いい葬儀」ってなんだろうということについて、杉浦なりのことばで綴ろうと思います。
お楽しみに!