【ブログ・井上拓郎】200点満点のお葬式に必要なもの。
こんにちは。マキノ祭典で葬祭ディレクターをしております、井上拓郎です。
わたしがこの世界に飛び込んだのは、42歳のとき。いまから6年前になります。もともとは広告業界に身を置き、まったく別の道を歩んできたわたしが、なぜ葬儀の仕事を選び、いまどんな思いで向き合っているのか。今日はそんなお話を、少しだけさせていただきます。
42歳からの転職。マキノ祭典との出会い
1977年生まれの私は、大学卒業後の就職氷河期に直面し、しばらくはフリーター生活を送っていました。そのなかで偶然アルバイトとして入った広告代理店で社員登用され、気づけば14年間、ひとつの会社で働き続けていました。
前職では、高校生向けの進学フェア、大学や専門学校と学生をつなぐ仕事に携わっていました。担当者が毎年入れ替わる業界でもあり、常に初対面の相手との信頼関係づくりが求められる環境でした。
やりがいもありましたが、元々わたしには「専門職」へのあこがれがありました。なにかひとつの道を極める仕事をしてみたい。そんな気持ちを胸に抱きながらも、気づけば40代。会社の将来にも不安を感じはじめ、転職を考えるようになったのです。
そんなときに出会ったのが、マキノ祭典でした。
「うちは人柄採用だから」。面接のときにそう言ってもらったことが、今でも忘れられません。40代での転職は決して簡単なものではありませんが、マキノは温かく迎えてくれました。同期入社の20代の仲間たちも、いい人ばかりで、すぐに馴染むことができました。
「200点満点のお葬式」がある世界
わたしは、葬儀の仕事を「おもしろい」と感じています。それは、この仕事には100点満点では終わらない、「200点満点」があると信じているからです。
たとえば、あるご家族とのやりとりの中で、故人さまが演歌がお好きだったという話を耳にしました。とくに「BGMとして流してほしい」と言われたわけではなく、何気ない雑談の中で出てきたエピソードでした。
けれど、その話を現場のディレクターにも共有し、出棺の際、会場内で演歌を流したところ、故人のご子息が大粒の涙を流され、感謝の言葉を下さったのです。
わたしたちも、そこまで感動していただけるとは思っていなかった。だからこそ驚き、そして心からうれしく思いました。意図的にしたわけではないことが大きな効果をもたらせてくれる、こうした目に見えない「人智を超えた力」の働きを、お葬式の現場にいるとよく感じるのです。
葬儀は単なるサービス業ではなく、そうした不思議な計らいが生まれる場でもある。だからこそ、この仕事には「200点満点」が存在するのだと、わたしは思っています。
200点に近づくためにできること
ただし、そうした奇跡的な瞬間は、いつでも起こるわけではありません。200点満点のお葬式に少しでも近づくためには、まずはご家族に「この人なら安心だ」と信頼してもらうことが必要不可欠です。
限られた時間のなかで、どうすれば信頼を得られるか。わたしが心がけているのは、「話をさえぎらないこと」です。
たとえば、会場の打ち合わせをしている最中に、まったく関係のない「お位牌って…」という質問が飛び出すこともあります。そんなときも、ちゃんとその不安に丁寧に応えたうえで、また元の話題に戻すようにしています。
お葬式は、わからないことばかり。不安や疑問でいっぱいのご家族に、少しでも安心してもらえるよう、会話のひとつひとつを大切にしています。
それに、何が「加点」になり、何が「減点」になるかは、お客様によって違います。
ラストメイクがうれしいという方もいれば、あまり望まれない方もいる。BGMが大きな効果を生むこともあれば、逆効果になることもある。正解はないのです。
マキノ祭典では、社内でよく「葬儀は生き物」だと言いますが、その真意はこのあたりにあるのではと思います。経験は活きても、マニュアルにはできない。それが葬儀の難しさであり、おもしろさでもあります。
天に通ずる葬祭専門職業人として
マキノ祭典の経営理念には、わたしたち自身のことを「天に通ずる葬祭専門職業人」と表現しています。
かつてわたしは専門職にあこがれていた、と話しましたが、いまはただの専門職ではなく、「天に通ずる」仕事をしているという実感があります。
人の命の終わりに立ち会い、ご家族の悲しみに寄り添い、ときに奇跡のような感動を生み出す。そんな仕事に就けたことを、心からありがたく思っています。
これからも一件一件、まっすぐにお客様と向き合い、「この人に頼んでよかった」と思っていただけるように。200点満点のお葬式を、少しでも多く届けられるように。学び続け、挑戦し続けたいと思っています。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。