施餓鬼
夏が近づいてくると
お寺さまから「施餓鬼(せがき)法要のご案内」という通知が届いたりするのですが
そもそも「施餓鬼」って何のことなのでしょうか。
そんな「施餓鬼」の本来の意味や、お盆との関係について、分かりやすくお話しします。
施餓鬼とは「餓鬼道」に堕ちた亡者の供養
施餓鬼って、「餓鬼に施す」と、書きますよね。
つまり、餓鬼道に堕ちた亡者を供養するのが、施餓鬼なのです。
では、「餓鬼道」ってなに? というわけになるのですが、
仏教では、生前の行いによって、生まれ変わる世界が6つに分けられていると考えられていて、
そのうちのひとつが、餓鬼道なのです。
6つの世界に生まれ変わることを「六道輪廻」と呼びます。
ちなみに、六道とは次の6つです。
●天道: 苦しみのない天人の世界
●人間道: 苦しみも楽しみもある人間界◀私たち
●修羅道: 常に争いや戦いが絶えない世界
●畜生道: 弱肉強食におびえる動物の世界
●餓鬼道: 飢えと渇きが満たされない世界◀餓鬼たち
●地獄道: 最も罪深い者が落ちる苦痛の世界
餓鬼道という世界は、
物惜しみをしたり、自分勝手に生きた罰として
常に激しい「飢え」と「渇き」に苦しまなければならないという
なんとも過酷な世界なのです。
ずっとおなかが空いてて、喉が渇いて…
とっても苦しいですよね。
そんな餓鬼たちを供養する施餓鬼では
生前の行いで餓鬼道に堕ちてしまった亡者や、身寄りのない無縁仏たちも
「どうぞ、お腹いっぱい食べて、喉を潤してくださいね」
と、たくさんの食べ物や飲み物をお供えして差し上げます。
お盆と施餓鬼の違い
施餓鬼法要は、主にお盆の時期に行われることが多いため
一般的なお盆と混同されがちなのですが、
実は似て非なるものです。
ただ、ともに7月15日という日と関連があるため、
この2つの法要(盂蘭盆会と施餓鬼会)を同じ時期に行うお寺も少なくありません。
盂蘭盆会やお盆の棚経参りの目的は「先祖供養」です。
わが家の両親や祖父母、ご先祖さまをまごころ込めて供養します。
一方で、施餓鬼の目的は「施餓鬼の供養」です。
わが家と関係があろうとなかろうと、等しくすべての餓鬼たちを供養します。
こうして見ると、お盆って本当にやさしい行事だと思いませんか?
「自分の家族だけでOK!」とするのではなく。
「どこの誰かは分かりませんが、せめてお盆の期間だけでも、みなみなさまが救われますように」
と、あたたかい願いを分け隔てなく差し向ける。
そんな、日本人の思いやりが詰まった風習なのです。
お盆と施餓鬼、それぞれのルーツ
お盆と施餓鬼には、それぞれ仏教のルーツがあります。
どちらもお釈迦さまの弟子たちによる「家族や仲間を救いたい」という物語がルーツになっています。
まずはお盆のルーツ。
こちらは、お釈迦さまの弟子で、超能力が一番すぐれていた目連(もくれん)さんのお話です。
目連さんは、その自前の超能力の力を使って
亡き母がどこにいるか探してみたそうです。
するとなんと、亡き母親は「餓鬼道」に落ちてガリガリに痩せ細っていたとのこと。
驚き、そして悲しんだ目連さんはすぐさま師匠のお釈迦さまに相談。
するとお釈迦さまは…
「夏の修行が終わる7月15日に、修行僧たちにたくさんの食べ物を捧げて供養しなさい。するとお母さんは救われます」と教えてくれたのです。
その通りにしたことで、母親は無事に救われた、というお話です。
次にお施餓鬼のルーツ。
こちらはお釈迦さまの身の回りのお世話をしていたイケメン・阿難(あなん)さんです。
ある日、阿難さんの前に恐ろしい姿をした餓鬼が現れて、
「お前の命はあと3日で終わり、餓鬼道に落ちる。それが嫌なら、無数の餓鬼たちに莫大な食べ物を施しなさい」
……と告げられたのだそうでした。
困り果てた阿難さんにお釈迦さまに相談しました。
するとお釈迦様は、
「このお経を読んだら少量の食べ物でも無限の施しに変えることができますよ」
と、そのお経を授けたのです。
そしてそれを実践したところ、自分の命も助かり、餓鬼たちも救われた
というお話です。
2つの物語が教えてくれる大切なこと
目連さんと阿難さんのお話を聞いて
「なんじゃそりゃ⁉」
…と思われた方もいることでしょう。
「そんなことで、餓鬼道に堕ちた母親が救われるの?」
「そんなことで、残り3日の命を守ることができるの?」
たしかに、そう言いたくなる気持ち、よく分かります。
でも、仏教って、よりよく生きるための智慧を授けてくれるものですし、
なにより、生前の行い(今を生きている私たち自身の行い)を善くすることが
本来の目的なはずです。
そう考えると、この2つの物語は、
私たちに「ある大切な心のあり方」を教えてくれています。
目連さんのお話が意味するのは、
自分や身内だけを特別扱いするのではなく、
みんなにやさしさを分かち合うことの大切さ。
そして阿難さんのお話が意味するのは、
他人の苦しみに寄り添うやさしい行動は、
巡り巡って自分自身をも救う
…ということではないでしょうか。
仏教には、こんな例え話があります。
地獄の人たちも、極楽の人たちも、同じ場所に住んでいて、
同じように、1メートル以上もある長い箸を持っている。
地獄の人たちは「自分が先に食べるんだ!」と箸を奪い合い
長すぎる箸が自分の口に入らず、飢えに苦しみます。
一方で極楽の人たちは、その長い箸を使って、
「どうぞ、まずはあなたから」と、
向かい側の人に食べさせてあげるのです。
その結果、全員がお腹いっぱいになり、笑顔になれます。
たとえ環境は同じでも、
心がけひとつで地獄にも極楽にもなるのですね。
2つの物語は、食べ物を自分だけでなく
周りの人に分けて施すことの重要性を説いているのです。
当時のインドですから、いまほど裕福ではなく
食べ物ももっと貴重な時代だったはず。
そんな時代においても、生きる糧である食べ物を独り占めにせずに
みんなに分け与えることの大切さを、お釈迦さまは説かれたのです。
「自分の家族や先祖だけなく、身の回りの亡者や無縁仏のみなさんも、救われますように」
こういったやさしい気持ちをまわりにも差し向ける想いが
年中行事の中に込められているのが、日本人のやさしさのように思います。
どうぞみなさまも、素敵なお盆をお迎えください。